ニュースレター(2015年春)


マザー・パトリシャからの手紙

主の潔白の子どもの皆様へ

ご復活おめでとうございます。ご復活節に多くの祝福を願います。

春号発行が少し遅れまして申し訳ございません。

コンピューター依存の時代にあって、仕事を中断させずにコンピューターのバージョンアップを図るのは難しいものです。細かな問題点はまだありますが、基本的には始動開始しております。

主は、カトリック教会による認知宣言(産まれる前に殺された幼子たちを、ベトレヘムの幼子殉教者の同志殉教者と認める宣言)に関して、最近、再びベネディクトゥス(「教会の祈り」朝の祈りのシメオンによる福音の歌)を黙想するようにと仰せられました。

キリストと救いのみわざの前表として、旧約聖書に、様々な人や出来事を見ることができますが、主は、メッセージの中で「認知宣言」が、どのようにご自分の救いのミッションに関係しているかをご自分の受肉、人生、ミッション、死、復活、昇天、ペンテコステにおける生まれたばかりの教会への聖霊の注ぎ、を通して、私たちに示しておられます。

その一例として、洗礼者聖ヨハネがあげられます。まず、聖ヨハネの受胎、名前、そして、母の胎にいるうちから聖霊に満たされているという、天使からの特別なお告げがあります。ヨハネは多くの者を主に立ち帰らせ、主の来臨の先駆者となります(ルカ1:5-17)。天使の告げは、祈りへの応えであり、また、ザカリアと全ての民にとっての良き知らせであるにもかかわらず、ザカリアはそれを疑います(ルカ1:18-22)。主の潔白のメッセージで強調されている天使の役割を黙想するのは意味のあることです。

産まれる前に殺された幼子たちは、自分たちを殺した者たちに対して、また、教会と全世界に対して、キリストの再臨の先駆者として、ヨハネと同様に選ばれた者たちです。更にヨハネが人々を悔い改めに導いたのと同様の役割を、この幼子たちも果たすことでしょう。ご訪問の時の聖母の役割により、ヨハネは主に出会って清められ、人々の悔い改めの道具となりました。彼は、イエズス様による洗礼の制定の前表となり、また、それを指し示しました。堕胎された子どもたちは、悔い改めと秘跡的洗礼を訴える先駆けの役目を持っています。洗礼者ヨハネと同様に、幼子たちは胎内でキリストと出会い、キリストは恵みを与え、血の洗礼によって彼らを沈黙の証人としました。主は、カトリック教会が幼子たちを、命についての真理を証しする殉教者として宣言することによって、この証しを公けのものとするよう願っておられるのです。『カトリック教会のカテキズム』720、(717も参照)

ザカリアが神のご計画を受け入れて、自分の子を、天使に告げられたようにヨハネと名付けたことにより、まず、言葉が話せるようになり、次にベネディクトゥスの中で、神の不思議と自分の息子の将来の役割を、預言の言葉で告げました。

聖務日課(教会の祈り)を唱えている、ここサービトンの主の潔白の共同体の、ある男の子は、ある日、私のところに来て、嬉しそうにこう言いました。「ベネディクトゥスを見て。これ、堕胎で殺された子どもたちのことを言っているみたいだよ。」その時この子はまだ、主がベネディクトゥスを示して幼子たちと関係があると仰せられたことを知りませんでした。

次のメッセージで聖アウグスティヌスは、私たちを「照らす」聖霊に信頼しなさい、とおっしゃっています。

幼子認知宣言との関連を考えつつ、ベネディクトゥスを黙想してみてください。


1995年6月24日、洗礼者聖ヨハネの誕生の祭日

パトリシャ:私は聖務日課、読書課の第二朗読(聖アウグスティヌスの説教より。説教番号293:1-3)を読んでいました。主はこれについてコメントされました。

朗読:「荒れ野で叫ぶ声」

...ヨハネの母は年をとっており不妊の女でしたが、キリストの母は若いおとめでした。ヨハネの父はヨハネが生まれることを信じようとはせず、口がきけなくなりました。おとめマリアは信じて、信仰によってキリストを宿しました。今から探究し、説明しようとしているのは、このことです。しかし、まずこの神秘を提示しました。私の能力不足や時間不足で、この神秘の深淵を十分に調べつくすことができなくても、聖霊があなた方を照らしてくださるはずだからです。あなた方は聖霊の神殿なのですから、私がいなくても、あなた方の心のうちで聖霊が語りかけてくださるでしょう。

イエズス:幼子たちも同様です。しかし、私がこれらの神秘をあなた方に説明しましょう。

イエズス:聖アウグスティヌスは、自分の説教を聞いたり読んだりする者を、聖霊が照らしてくださると

知っており、信頼していました。この説教を、堕胎された子どもたちに関連づけて学びなさい。

朗読:「洗礼者聖ヨハネのミッションは、産まれる前であったにもかかわらず、はっきりと示されました。」

イエズス:堕胎された子どもたちも同様です!

朗読:「これらの神の崇高な神秘は、人の理解をはるかに超えています。」

イエズス:私は今、こうしてあなた方に説明しています。一たび教会の中で、この幼子たちに声が与えられれば、父なる神のみ言葉が全世界に告げ知らされます。この子どもたちは罪と悪の「荒れ野で叫ぶ声」であり、私は彼らの告げ知らせる「言葉」である。私の言葉は真理であり、命である。彼らは、真理が退けられたために死んだのですから、真理を証しする殉教者です!

朗読:「ヨハネは『声』でしたが、初めに主は言葉でした。ヨハネはしばらくのあいだ声でしたが、キリストは、初めに言葉であり、永遠に言葉である御方です。」

イエズス:今や、言葉を宣言し、私が来臨することを幼子たちが多くの国に宣言するための時は満ちています。今や、教会が幼子たちを、言葉を証しする殉教者であると宣言することによって、彼らがみ言葉の証人となる時は満ちました。この子どもたちは、ある特別な時のための声であり、その時はすでにあなた方に訪れています。彼らは預言的証人であり、先に行って「私の道を整え、全ての罪のゆるしによって私の民にその救いを知らせる」(ベネディクトゥス。ルカ1:68-79)のです。

パトリシャ:教皇様が聖霊を呼び下されて、教会の中でこの子どもたちに命を与えると、彼らは最初の幼子殉教者の同志殉教者となります。幼子たちは、世界各国で神の言葉とカトリック教会の教えに反して、殺されました。キリストの言葉は、あらゆる国のあらゆる言葉で宣言されることになり、全ての者が自分の国の言葉で理解するでしょう。それは、ペンテコステの時に民衆が、使徒たちから言葉を聞いたのと全く同様です。教皇様は、ペトロの後継者として、また、使徒の後継者である司教として、このように聖霊を呼び下して全世界に宣言される権威をお持ちなのです。

パトリシャ:主は、再び、教会の教導権に、ベネディクトゥスの言葉に注意を払うようにと、仰せられました。

イエズス:彼ら(幼子たち)は再びこう言っています。

「神をほめたたえよ、イスラエルの神を。

神は民を訪れて あがない、

私たちのために力強い救い主を、

しもべダビデの家に立てられた。

神は昔、預言者によって語られたように、

私たちに逆らう者、うらみをいだく者の手から、

私たちを救い、祖先をあわれみ、

パトリシャ:イエズス様はご自分の民を、主の潔白のメッセージを持って訪れ、ご自分を、産まれる前に殺された数多くの幼子たちの救い主であり、また、この幼子たちを殺した人たちが悔い改めて神の愛とあわれみと赦しを受け入れるのならば、彼らの救い主ともなることを示されました。

パトリシャ:主は、幼子たちが預言的ミッションを持っていることをお示しになりました。≫

とうとい契約を心に留められた。

神は先祖アブラハムに約束されたとおり、

逆らう者から 私たちを救われた。

生涯を 清く正しく平和に送り、

神に仕えることができるように。」

イエズス:もう一度言います。

「幼子よ、おまえも神の預言者と呼ばれ、

主の前を歩み、その道をととのえ、

罪のゆるしによる救いを その民に知らせる。

全ては神のあわれみの心による。

神の深いあわれみにより、

夜明けの太陽は 私たちに臨み、

やみと死の陰にある人を照らし、

私たちの歩みを平和に導く。」

パトリシャ:堕胎や幼子たちを殺すことに関わった人たちに対して。(訳注:道をととのえます。)

パトリシャ:罪のやみ。死の陰は、子どもたちを殺した人たちの上にあります。≫

こういう訳ですから、皆さまが聖務日課(教会の祈り)でベネディクトゥスを唱える時には、前半では堕胎された子どもたちのことを考えてみてください。そして、後半では、堕胎された子どもたちの預言的証しについて主が話されるのに、私たちも加わることができるということを黙想してください。

主が、産まれる前に殺された子どもたちの、教会による認知宣言に関連づけてベネディクトゥスを考えるよう、私たちに促されたのは、ひとたびカトリック教会が幼子たちを殉教者と宣言し、祭壇の上にあげたならば、彼らも洗者ヨハネと同様に、救い主として来られるキリストの来臨を告げることになるからです。

本部では、主の潔白のメッセージの様々な分野、とりわけ幼子認知宣言を広める仕事が続いています。毎週末、デービッドが新しい場所を選び、主に「幼子認知宣言」と「命のための大いなる祈り」のリーフレットを、カトリックか否かにかかわらず、配っています。

私たちはこれまでの出版物を読み直して、どうすれば聖家族の修練についての指導や聖体大学、カトリック信仰の継続的学びの重要性、つぐないの行進、サービトンの教会堂建設の意味を、広めることができるか、必要に応じて最善の方法を計画しています。「あわれみは統治する」(訳注:堕胎された幼子たちに主が与えられた名前)の本は改定作業中ですが、これはその分量や相互参照のメッセージが多く、骨の折れる仕事となっています。このようなことはみな、皆さま方のお祈りと励ましと寛大さなしにはやっていけないことです。

Etc.

著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)以上2015年7月3日(金)

0コメント

  • 1000 / 1000