「キリストの聖なる潔白の道」DI43

「キリストの聖なる潔白の道」DI43

The Way of Christ’s Divine Innocence, Summer 2020

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1985年6月13日

イエス:傷ついた家族に、わたしの心の中に抱いている、彼らへの愛を伝えてください。子どもの育て方を間違えてしまい、気づいたときには、もう遅かった、という両親に伝えてください。わたしの掟に従わず、両親を敬わなかった子どもたちに伝えてください。自分たちの振る舞いのために、子どもたちが親を敬うことを困難にしてしまった、そのような親たちに伝えてください。最善をつくしたけれども、子どもたちが言うことを聞かなかった、という親たちに伝えてください。互いに不忠実な夫婦、さらには、そのために自分の責任を放棄してしまった夫婦に伝えてください。

この苦しむ哀れな霊魂たちに、わたしがどれほど彼らを愛しているかを伝えてください。どれほど過ちが犯されていようとも、わたしに向き直るならば、すべての人の癒やしが可能なことを伝えてください。すべてが、再びうまく行きます。家族のことを、諦(あきら)めたり見捨てたりしてはいけません。本当に数多くの家族が、家族内の罪によっても、社会におけるその他の家族の悪い影響によっても、打ちのめされています。

わたしは、本当に数多くの家庭が、互いに分裂し合うことによって、心から、深い苦悩の叫びをあげていることを知っています。善意の人や、わたしの教会と秘跡と教会の教えの近くにいる人でさえ、できる限り多くの家族を打ち壊そうとしている悪の勢力からの、激しく凄まじい攻撃を受けています。父親から、最も幼い子どもまで、罪のために、本当に数多くの家族が苦しんでいます。

あなた方の神は、あなた方を愛しています。父なる神は、あなた方のすべての困難を、あわれみ深い心に収めておられます。わたしはあなた方に、天の御母を与えました。御母の優しい愛と思いやりは、あなた方の想像をはるかに超えています。

あなた方の天の御父に向き直り、そして、最も完全な母である、処女(おとめ)、聖母マリアに向き直りなさい。あなた方の痛みと困惑とを、わたしたちのもとに持ってきなさい。あなた方の心配事を、わたしたちの配慮のもとに持ってきなさい。父母たちよ、あなた方の家族をどうやって支えようかと、心配することはありません。神の望みと、カトリック教会の教えに従って生きなさい。告解(ゆるし)の秘跡に頻繁にあずかりなさい。そこでは、あなたの失った潔白(清さ)を、再び取りもどすことができます。あなた方の善と幸せのために、わたしたちにすべてを整えさせてください。

父母たちよ、子どもたちの良い手本となるために必要な徳を願いなさい。そうすれば、あなた方の家庭は、わたしの平和と喜びでいっぱいになるでしょう。あなた方は、家庭にどれほどの平和と愛を必要としていることでしょう!

パトリシャ:主よ、すでに壊れている家族はどうなのでしょうか。彼らにどんな希望となぐさめを、お与えになりますか。

イエス:そのような家族の中の一人だけでも、家族の中の他の者たちへの愛のために、自分のすべての苦しみを捧げて、彼らがわたしを知り、愛するための手助けをするならば、わたしはその一人のところに助けに行くだけではありません。わたしと一致した、その一人の人は、家族の他のメンバーすべての救いのために貢献することになります。わたしの「聖心(Sacred Heart)」と、あなた方の天の御母の「けがれなき御心(Immaculate Heart)」と、聖ヨセフの保護に、信頼しなさい。十戒を生き、カトリック教会の秘跡をフルに活用しなさい。ここにあなた方の希望と、いやしと、幸せがあります。この「助け」なしに生きようとするならば、死と破滅に至ります。

あなた方は、神の愛の種を、この最も見込みのない土地に植えるよう求められています。あなた方は、憎しみと暗闇しかないところで、愛するように求められています。これは最もつらい仕事のように思えるかもしれませんが、わたし自身があなたを、わたしの愛によって強めましょう。わたしは、あなたを抱きしめましょう。あなたの心は、終わりない喜びのためにあなたとあなたの家族をつくった、神の喜びを感じるでしょう。

わたしは、あなたのことを何度も何度も傷つける者を愛することができるように、あなたの愛を広げてあげましょう。あなたは、わたしが正義を下すのを、待ってほしいと願うまでになるでしょう。そして、わたしたちは共に、彼らを自らの神に向き直らせ、救いへと導くために、できること全てを行いましょう。霊魂とは、まことに尊いものです。すべての霊魂がつくられた理由は、天の喜びと、永遠の愛と幸せとを、楽しむためなのです。

マリア:すべてを、わたしの手に委ねなさい。心配してはいけません。平和でありなさい。神の愛は、すべての不足を克服します。

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1983年2月10日

イエス:メディアで働く者たちは、人々の、より高い徳と、高い価値観のために、もっと良い仕事ができるはずです。そうするならば、どれほどの平和と愛が、人々の間に広がることでしょう!今、本当に多くの悪が、このコミュニケーション手段によって、広がっています。あなたも、あなたの子どもも、どんなテレビ番組を見るか、そして、どんな映画を家族が見ることを許可するか、とても注意しなければなりません。若者や子どもたちに、高い理想と徳を吹き込んでください。

不正が人々に知らされるのは良いことですが、テレビもラジオも新聞も、和解と愛と平和を、すべての人に伝えるための、もっと素晴らしい手段となり得るものです。これらのコミュニケーション手段を用いる人々のために、祈りなさい。

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1983年2月24日

イエス:パトリシャ、あなたはジュエリーの仕事をしていますから、ダイヤモンドが完全な輝きをあらわすには、削られ、磨かれなければならないと、知っていますね。金や銀の純化のために使われる火の熱を、あなたは知っていますし、見たことがあります。この世に、苦しみはあるかもしれませんが、忠実な霊魂のためには、永遠の幸いと祝福が用意されています。わたしは、あなた方が苦しむところを見るのを望んでいるわけではありませんが、この世で起こる様々な自然の出来事の中で、わたしは、あなた方が徳と愛において成長する手助けをしてあげることができます。そして、それらの出来事は、あなた方の清めに役立ちます。わたしが、あなた方の人生において働き、あなた方を成聖へと導く自由を与えてほしいのです。わたしに協力するならば、あなたのこの世の旅路は、あなたが他の弱い霊魂を、慈しみと理解をもって心に留める助けとなることでしょう。

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1983年3月14日

イエス:はじめに罪びとは、わたしに何も捧げることができません。彼らを気落ちさせないために、わたしは慈しみのために、彼らの祈りを受け入れます。わたしは、すべての霊魂に対して、わたしの慈しみと愛に確信をもつよう勇気づけます。たとえ彼らが自分の罪で押しつぶされていたとしても、わたしはそうします。神の慈しみに信頼することは、信仰と信頼における、大きな一歩です。このようにして、徳と愛が、痛悔から成長し得るのです。霊魂たちよ、秘跡を活用しなさい。とりわけ、告解と聖体拝領を利用しなさい。誰も、「神の聖なる慈しみ(God’s Divine Merccy)」に近づくことを恐れてはなりません。

パトリシャ:イエス様は他のメッセージで、こうも言われています。「『神の慈しみ(Divine Mercy)』は、わたしたちを『神の潔白(Divine Innocence)』へと招く」。わたしたちが、神の慈しみと赦しを受けたのであれば、イエス様のお望みは、ご自分の「神の潔白(Divine Innocence)」が、わたしたちのうちで完全に生きるように、わたしたちをご自分に引き寄せることです。わたしたちは弱いからといって、やる気をなくすのではなく、カトリック教会を通して神から与えられた方法、教会の秘跡や教えを活用すれば良いのです。

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1984年5月8日

マリア:あなたには、あなたを支えるわたしの「無原罪の心(汚れなき御心、Immaculate Heart)」の力が必要です。あなたは、どれほど自分が弱いかを見てきました。主のお言葉を忘れないでください。

「わたしは、弱い者を選んで強くし、わたしの証しをさせる。」

わたしの御子は、あなたのような霊魂のために、ご自分のいのちをお与えになりました。とても弱い者にとって、彼らの救い主イエスと、彼らの天の母の心のほかに、どこに希望を見出すことができるというのでしょうか。

弱い霊魂は、恐れのゆえに、ためらうものです。過去の罪と、自らの弱い性質からくる恐れ、自分の良い意向を保ち切れないかもしれないという恐れ、自分の情熱が、不忠実と罪深さの流れに乗ってしまうかもしれないという恐れ、などがあります。この恐れは、わたしの敵のわざです。この敵は、あなたの魂の敵であり、霊的に脆弱な霊魂たちの敵です。悪魔は、霊魂たちを、このような恐れのうちに留めているあいだは、その人たちが、わたしや、御子イエスに向かわないことを知っています。悪は恐れを糧(かて)としており、恐れから力を得ているのです。このような霊魂は、告解とその他の秘跡を、しばしば避けます。神をがっかりさせてしまうかもしれない、と恐れるからです。このように、人の恐れと自信の無さによって、嘘の創始者(悪魔)は、わたしの可哀想な子どもたちを捕え、その霊魂を危険にさらすのです。わたしは、わたしの子どもたちを、投獄されたままにはさせません!良き母親は、どんなに遠くへでも行き、自分の子どもたちを危険から守ります。そうであるなら、彼らの天の母であるわたしが、さらに、わたしの子どもたちを守り、助けはしないでしょうか。鍵は、信頼と、カトリック教会の秘跡の習慣的な利用です。過度の恐れと、良心のとがめによって、あなた方の救い主を、お悲しませしないでください。

神である我が御子イエスの聖なるみ心が、お救いになるために、大いに苦しまれた相手(であるあなた方)を、拒絶するでしょうか。御子が、ご自分の愛の契約を、破られるでしょうか。子どもが父母の言うことを聞かず、自分のやり方を頑固につらぬこうとするならば、両親には助けようがありません。自由意志があるからです。

子どもが心を頑(かたく)なにして、怒り、ゆるしをはねのけるところを、見たことがありますね。子どもが悪かったにもかかわらず、あなたが子どもを腕に抱き、なぐさめ、ゆるそうとする、しかし拒まれる、という体験をしたことがあるでしょう。

罪は、人の心も人生も、この幼子のようにしてしまいます。彼らは傷つき、怒り、自暴自棄になっています。このまま大人になってしまうと、自らの痛みと苦しみを紛らすために、際限のない気晴らしの追求に、無駄な時間を費やすことになります。

その中のある人は、外から見ると、世が与え得るすべてを持っているように見えるかもしれません。富も、才能も、数多くの興味深い仕事も。自分の時間を、限りない楽しみや、長時間の難しい仕事で満たし、考える時間も、思い巡らす時間も、祈る時間もありません。

これは悪魔にとって、まさに最適です。人が、恵みの助けのもとで、救いのために用いるようにと与えられた、貴重な時間もエネルギーも、使い果たしているからです。その恵みの助けも、求める人には与えられるものです。

この人々が、ひざまずいて祈り、神から注がれた愛に感謝することは、決してありません。彼らは、神の慈しみ(あわれみ)を、自分のためにも、他の人のためにも、決して祈り求めません。心は自己中心的で、彼らの傷ついた救い主を、見上げることはありません。罪無き御方でありながら、彼らのすべての罪の赦しのために苦しまれた救い主を、見上げはしないのです。我が御子イエスとともに十字架につけられた悪い盗人のように、彼らは、自分に降りかかった出来事の中に、自らの責任もあったことが、理解できないのです。

良き盗人の謙虚さは、天の扉を開きました。彼らは、自分の過ちを素直に認め、すでに天のみ国に入られた御子に、自分を思い出してほしい、と願いさえすればよいのです。それに応えて、御子は、天の門を彼らに向かって開かれるでしょう。

母として、わたしから最も弱い者に与える賜物は、わたしの「無原罪の心(汚れなき御心 Immaculate Heart)」です。これは確実な避難所であり、防御です。わたしのこの心は、我が神なる御子のみ心と同じリズムで鼓動しています。わたしたちのこの二つの心の中に、自分を置きなさい。あなた方の救い主イエスは、あなた方の信仰の無さを焼きつくし、あなた方を愛と赦しの泉へと導かれます。

あなた方の過去の罪を、心配してはいけません。そのような罪を、今も将来も乗り越える能力が自分にあるか、それも心配してはいけません。カトリック教会の諸秘跡を、充分に活用してください。謙虚に、イエスの聖心とわたしの無原罪の心のもとに来なさい。この二つの心の中で、あなたは、赦しと愛の、優しい癒しの香油を見つけるでしょう。全ては忘れ去られ、赦されます。わたしたちは、あなた方の弱い霊魂に、力と愛を注いであげましょう。善きお方である神のこの寛大さを受けて喜ぶあなた方を見て、周囲の人はみな、驚き称えることでしょう。

わたしたちの助けによって、あなたは神の子どもとして歩むことを学ぶでしょう。あなたの傷や痛みは、全て癒されるでしょう。あなたの中にある極端な自己愛とプライドは焼きつくされ、父と子と聖霊への愛が、代わりにその場を占めるでしょう。

あなたは、神だけが可能にできる、不可能な(あり得ない)ことを、信じるようになるでしょう。あなたの霊魂と人生に「変容(transformation)」が起こり、神の栄光のゆえに、天のすべては歓喜するでしょう。

[p.9]

1984年7月9日

イエス:わたしの心について、黙想しなさい。あなたの必要なものは全て、ここにあります。すべての聖なる望みは、わたしのこの心の中で、満たされます。わたしは、自分が休息し、愛を見出すことのできる心を探し求めています。

パトリシャ:主イエス様は、わたしたちが、主の「ご聖体の聖心(Sacred Eucharistic Heart)」から受けて利用できる無限の宝を、わたしたちと分かち合いたいと思っていらっしゃるのです。

[p.9]

1984年12月16日

マリア:我が神なる御子がお産まれになる前の昼と夜は、あなたの母にとって、大いなる苦しみの日でした。わたしがこれをあなたに明かした理由は、家族が、聖なる家族となる努力をするようになるためです。自分の家族をわたしの心の中心に置くならば、家族は互いを、より良く愛することができるようになるでしょう。家族の中では、お互いの失敗を、素早く、寛大にゆるすべきです。家族が、あるいはその中のたった一人が、全てにおいて神を求め、聖なる者となる努力をしているのならば、その他多くの霊魂が、彼らの後に従うでしょう。多くの霊魂が、成聖を得る一人の霊魂によって、恩恵を受けるのです。

[p.10]

1985年2月6日

マリア:人の中に罪を見るとき、あなたには、反対の徳の練習をし、その人たちのために祈るように望みます。

パトリシャ:これは、人の欠点に対処する際の、平和的で、おだやかな道です。そして、相手のためにも、自分のためにも、利益となります。

[p.10]

2000年3月15日

イエス:あらゆる状況は、恵みに協力するために理想的です!

[p.10]

2000年10月4日

パトリシャ:主よ、罪はわたしたちの心を引き裂きます。

イエス:子よ、なぜ罪はあなたの心を引き裂くのですか。

パトリシャ:わたしたちは、あなたを完全に愛したいのであり、決して不愉快にさせたくはないからです。

イエス:それならば、あなたは、わたしの父の務め、すなわち愛に従事しているということです。あなたの「愛したい」という望みが増し、罪への嫌悪があなたにしっかりと根付くとき、あなたは正義に飢え渇くことになります。わたしを信じなさい。あなたは満たされます。わたしが一番よい時を、選んであげましょう。あなたが自分自身の弱さを決して忘れず、他の弱い霊魂を責めない時、人に対するあなたの裁きが静まる時、一方で、あなたが優しさと共感をもって真実を語り、性急に判断しない時。

パトリシャ:主よ、ある父親が、自分の責任を果たそうと努力していましたが、たいてい過労で疲れていました。それで、自分の忍耐の無さが子どもたちの悪い手本となっていると、嘆いていました。母親たちも、こういう状況に悩まされることがあります。

イエス:この父親は、祈りを頼むという正しいことをしました。しかし、子どもたちも、その不従順が、両親やその他の人を、罪と大きな心労へと追いやることを、知らねばなりません。また、親が、子どもたちの飢えの叫びや、子どもたちの何か危険な状況に応えないならば、子どもたちも大いに苦しむことになります。

パトリシャ:家族のすべての成員が、尊敬と愛をもって、お互いに助け合わなければなりません。

[p.11]

2004年2月4日

イエス:無関心なカトリック信者、そして、いわゆる実践していない(幽霊)信者は、自分の人生を、神と真理なしに、いかに生きたかによって、そして、彼らの悪い手本のために真理から遠ざけてしまった人々のゆえに、裁かれます。時のあるうちに、悔い改めなさい。

[p.11]

2004年12月25日、ウィンブルドン、聖心教会の夜間ミサにて

パトリシャ:マリア様が、幼子イエス様を抱いて、おいでになりました。聖母はとても壮麗なお姿です。天使たちが周りを取り囲み、新たにお産まれになった王をほめたたえています。聖ヨセフ様は、ひざまずいて礼拝しておられます。

マリア:主は、あなたの祈りを聞き入れてくださいました。そして、あなたのすべての祈りに応えてくださいます。信頼しなさい!信頼し、信じなさい!主の潔白(神の潔白、Divine Innocence)は、あなたの家族の中で、勝利するでしょう。教会の中で、大いなる前進がありました。このメッセージは、世界を変容させるでしょう。御子を賛美しなさい!賛美しなさい!

パトリシャ:イエス様の全生涯が、その「神なる潔白」の各段階において示されました。それから、わたしたちの内にあるキリストのいのちの各段階が、わたしたちが天国に着き、王であるキリストとの一致に至るまで、示されました。

パトリシャ:ミサの奉献文のあいだ、わたしには、祭壇の上の神の小羊、つまり、これからご聖体の現存になるものの象徴が、見せられていました。主は仰せになりました。

イエス:イエズス会は、わたしの「神なる潔白(Divine Innocence)」の秩序に基づいて、修道会を刷新するために、わたしの「神なる潔白(Divine Innocence)」のメッセージが必要です。彼らの祈りと、善業と、ミサが、この恵みをもたらすために貢献しましたので、わたしは今、彼らがこの恩恵を受けて喜んでほしいのです。

パトリシャ:また、わたしには、善き人と、教会内の共同体と修道会のすべての善業も、「神の聖なる潔白(God’s Divine Innocence)」の、より深い理解をもたらしたことが、示されました。神はすべての人が、これを受けて、喜んでほしいのです。

七人の司祭が、ミサを共同司式していました。聖変化のとき、司祭たちの手から、光が出ているところが見えました。光線は、今は祭壇の上方におられる神の聖なる小羊からも出ていました。


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)2020年9月4日(金)

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