ニュースレター(2013年冬)

〔p.7〕

8月17日について、主の潔白の子どもたちへの手紙

以下の手紙は、イギリス以外の国で様々な「十字架行進」に参加し、8月17日に「秘められたる神秘の御傷の聖母」の称号で聖母に誉れを帰すための集いを開いてくださったいくつかの主の潔白のグループに送ったEメールの内容です。多くの方が見ずに終ってしまうかもしれないと思い、今回のニュースレターに掲載しました。しかし、それだけではなく、私たちの家庭や社会での不安、更には教会内での不安などに直面している主の潔白の子どもの皆さまに、確信をもっていただくためでもあります。


親愛なる主の潔白の子どもの皆さまへ

主の潔白のメッセージで与えられた「秘められたる神秘の御傷の聖母」の称号のマリア様に光栄を帰してくださって、ありがとうございます。また、イエズス様とマリア様のお望みに応えて、皆さまの祖国の土地に「十字架のしるし」を描き、世の罪、とりわけ堕胎の罪の償い(訳注:reparation修復作業)をしてくださったことにも感謝いたします。「あらゆる場面で十字架につけられている潔白の償い(修復)を行う」という、任せられた任務を考えると、私たちの人数は少ないです。私たちはいつも、もっとしなければと思ってしまいますが、メッセージで明らかに示されている通り、この「十字架のしるし」は私たちの祖国、家族、そして私たち自身にとって、大いなる恵みを注ぐ水路であり、また、護りとなるものです。それは小さな始まりですが、天の力と祝福をもっています。

今日は、私たちの聖母の誉れと祝いの日であり、復活祭の神秘のように、私たちには苦しみと勝利の両方があると分かっています。私たちは聖母の神秘的な御苦しみを思いますが、同時に、御母の力強いお取りなしによる豊かな恵みをも思うのです。


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)以上2014年8月1日(金)


〔p.12〕

煉獄の霊魂のための祈り

いつものように11月に入ると教会は、とりわけ煉獄の霊魂に視線を注ぎます。私たちは、主の潔白の家族の亡くなったたくさんのメンバーを思い出しました。私たちは、主の潔白のメッセージに対するその方たちの大きな信頼を神に感謝すると同時に、また、彼らの献身(コミットメント)と寛大さを神に感謝いたします。主の潔白の道を生き、広めるために、多くの方たちが、個人的生活の中で大変な犠牲を捧げてくださり、苦しみを英雄的に忍耐されました。この方たちの霊魂の永遠の安息のために、どうぞお祈りくださいますように。そして、自分自身の生活において主の潔白のメッセージがよりしっかりと根付くように、また、普遍教会において更にこのメッセージが広がるように、亡くなったメンバーに助けを願ってください。

また、生きている間、主の潔白のメッセージに反対していた煉獄の霊魂のために、ミサを依頼するのも良いことです。そして、彼らの取り次ぎも願ってみてください。こうすることで、生きている間には主の潔白に反対していたとしても、今は私たちを助けるために祈るというチャンスを、その方たちに差し上げることができるからです。


聖ゲルトルーディス(ガートルード)への祈り

以下の聖ゲルトルーディスへの祈りは、煉獄の霊魂のための最も有名な祈りの一つです。大聖ゲルトルーディスは、13世紀に生きた、ベネディクト会の修道女であり神秘家でした。伝承によると、この祈りが熱心に唱えられるたびに、1000人の煉獄の霊魂が解放されることを、主は彼女に約束されたと言います。


永遠の父よ、私は、煉獄の全ての霊魂のために、また、あらゆる所にいる罪人のために、そして、普遍教会の中の罪人のため、我が家にいる罪人と私の家族の中の罪人のために、御子イエズスの至聖なる御血を、きょう全世界でささげられるミサと一致して、あなたにささげます。アーメン。


煉獄の霊魂にとっては、苦痛と共に、大きな喜びがあるということを覚えておいてください。彼らは、自分たちが天国に行くのだということを、確信しています。ジェノアの聖カテリナは、煉獄の「愛の炎」が、彼女の言う「罪の錆(さび)とシミ」を取り除き、煉獄の霊魂を、神の永遠の抱擁への強い憧れで満たすことについて書いています。

煉獄の霊魂のための私たちの犠牲と苦しみと共に捧げられる私たちの祈りは、彼らの煉獄での時を短くすることができ、また、自分自身の煉獄をも短くするであろうことを、忘れないでください。クリスマスは一年中で最も煉獄から霊魂が解放される時であるとして知られています。彼らへのプレゼントとして、私たちの祈り以上のものがあるでしょうか。


〔p.13〕

聖家族へのコミットメント

聖家族の祝日が近づいています。メッセージは明らかです。聖家族の修練が、主の潔白の道の中心的メッセージです。聖家族の中にいるということは、身を捧げる(コミットすること)であり、訓練(養成)を受けるということです。もし、あなたがまだ聖家族へのコミットメントをしておらず、聖なるカトリック教会とその教えと秘跡への、より深い献身によって訓練を受けておらず、聖家族による優しいお導きを従順に聞き入れていないのであれば、イエズス・マリア・ヨゼフ様方のお招きを真剣に考えてみてくださいますように。


1997年9月26日、聖コスマと聖ダミアノの祝日

イエズス:ナザレトの私の家庭の秘められた扉を開き、私である主の潔白に身を捧げる生き方をするようにと、全ての者は平等に招かれています。多くの者はこの恵みを知りませんので、これはあなた方の使徒職です。多くの者はこれを知らないでいることを望んでいます。なぜなら彼らは、ナザレトの家には家族の義務があることを良く知っており、聖三位の栄光に輝く命は、彼らにとってあまりにも力強過ぎるからです。彼らは、より貧しい食事を好みます。そして、多くの者は、聖家族の修練が一生をかけての献身(コミットメント)であることを感じ取っています。あまりにも多くの者が、自分以外の誰のためにも身を捧げたくないのです!

もし、あなたがコミットメントをすでにしているのであれば、今こそ、より深くこの訓練(養成)に身を投じるべき時です。


1998年11月8日、ナザレトの家、完徳への道を歩むことについて

すでにコミットメントをした人々に向かって。

イエズス:あなた方は、完徳の人生を、今この時に生きるように献身(コミットメント)をしたのです。あなた方一人ひとりが、あなた方の罪を正すために助けとなる統治(訳注:神の統治)に抵抗します。あまりにも多くの者が、年を取りすぎて力もなく病気になってから、応答するのです。彼らは自分の健康と活力を、自己中心的な目的や、自分のわがままな計画のために用い、自分たちのための訓練(養成)を嘆き、更には、常に私たちに呼びかけ、死にかけた霊魂を何とかさせようとしている神に対して怒りさえするのです。

イエズス:時を無駄にしてはなりません。あなたがどれほど年を取っていようと、弱っていたり、病気であると感じているとしても、あなたは完徳の狭い道を歩み始めているのです。たった今、迫害と困難の最中(さなか)で始めなさい!たった今、審判のためにあなたが私の目の前に来る時まで待たずに、始めなさい!このメッセージを聞いて、落ち込むことはありません。あなたは、罪の岩や土や泥でできた山のことを考えるべきではありません。あなたは、黄金のことを考えるべきです!美徳の完成を考えなさい!(訳注:神や聖人たちの徳を自分のために願い求めながら、)恵みによって自分の欠点を乗り越える努力をしているうちに、徳は自分のものとなるでしょう。

(訳注:主の潔白には「アプロプリエーション(自分のものとする祈り)」というものがあり、神や聖人たちの徳や霊的宝、あるいは小さい人々の苦しみの捧げ物などを、自分のものとするように祈ることができます。マザー・パトリシャは、神様が宝の倉の入り口を開け放しにしているところに、小さな海賊たちが入って来て、好きな物を持って行くというビジョンを示されています。小さな海賊である私たちが、霊的宝の宝庫に入って、好きな物を好きなだけ持って行くことを神は望まれている、ということのようです。)


著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)以上2015年11月6日(金)

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