ニュースレター(2017年 夏)

マザー・パトリシャからの手紙

キリストの潔白の子どもの皆様へ

8月17日が近づいてまいりました。メッセージでは、この日に秘められたる神秘の御傷の聖母を賛えてほしいと言われています。天はこの時期、国土の上に十字架のしるしを描く行進も望んでおられますので、皆さまが応えてくださいますように。十字架のあるところには、聖母がおられます。そして、聖母はキリストの十字架を指し示しておられます。十字架の御足元に聖母は立たれ、主の御苦しみを、御母も愛と償いの精神で、主と一致して分かち合われたのですから。(ヨハネ19:25、教会憲章58参照)

フィリップ・ジョベール神父様(ソレーム修道院の神学者)は、数年前、本部で私たちと仕事をしていた時に、聖母の秘められたる神秘の御傷について書いておられます。以下は、その著作からの抜粋です。

  「聖母は常に母として教会とつながっています。聖母が傷つくたびに、教会が傷つきます。女性の母性と、男性の父性が、傷ついています。男女の役割の秩序が歪められると、子ども達が傷つき、彼らの潔白(純真無垢さ、イノセンス)が、とりわけ堕胎において十字架につけられます。聖母はご自分の子ども達の近くに来られます。子ども達の十字架の近くに来られます。その十字架は、キリストの十字架なのです。聖母は、あらゆる傷がキリストの御傷の力で癒されることを、直感的に知っておられます。この癒しは、教会の秘跡を通して、キリストから流れ出ます。「秘められたる神秘の御傷の聖母」であるマリアは、神のすべての子ども達を優しく愛しており、ただ、私たちの傷ついた心と知性と体が癒されることを望んでおられるだけなのです。そして、これを実現する最も完璧な方法は、私たちをご自分の神なる御子イエズス・キリストの元に引き寄せ、キリストの御傷の中で癒していただくことだと、聖母は知っておられます。」

十字架のしるしの行進は、天から見られており、それを行なった国の土地に焼き付けられていると、イエズス様は言っておられます。私たち自身も十字架のしるしをする時、天の光のしるしがつけられると、イエズス様はおっしゃっています。十字架のしるしは、私たちがカトリック信者として最初に教わる祈りの一つであり、聖三位に呼びかけ、洗礼を思い起こさせるものです。ですから、国土の上の十字架のしるしを思う時、父なる神のみ旨が私たちの祖国で行われ、キリストの聖なる潔白が祖国の民と政府のうちで勝利し、聖霊の賜物と実が私たち全てに注がれて、私たち皆が潔白と聖性のうちに生きるように願ってみましょう。

償いの十字架行進を実際に行うことができない方には、是非、支援の祈りをお願いいたします。実際に行進する方のためにミサをお願いしてくださることも、大歓迎です。歩くことができなくても、十字架行進の一部を、車やその他の移動手段でしてくだされば良いのです。その際には、秘められたる御傷の聖母のご像かご絵をお持ちください。

この手紙を、イエズス様の励ましのお言葉で締めくくりたいと思います。

p.2

2005年10月4日(i)

  イエズス:「私の荷は軽いです。」私の荷は、なぜ軽いのでしょうか。教えてあげましょう。罪を避け、潔白(純真無垢)であることの荷は軽いのです。多くの者は、十戒と教会の教えを守ることを重荷だと思っていますが、罪と悪の荷の方がずっと重いです。罪と悪の重荷は喜びを打ち砕き、知性と心を闇に落とし入れます。多くの者が、手かせ足かせと思っていることが、実際には自由をもたらすのです。本当に自由な者は、神と隣人を愛します。彼らは殺したり、姦淫したり、偽証したり、十戒を破ったりしません。ですから、彼らの良心が自らを咎めることはないのです。そして、神と教会の掟を守るという私の荷は実に軽く、全く重荷ではないどころか、これこそが自由の掟と神の愛であることに、彼らは気づくのです。

p.3

2011年12月2日

  パトリシャ:私達には、キリストの聖なる潔白の道の、より深い理解という賜物が与えられていますが、人数がとても少なく、神のこの素晴らしい賜物を教会に伝えるために大変な苦労をしていましたので、助けてくださるよう主に祈っていました。すると主は仰せられました。

  イエズス:アブラハムの信仰を思い出しなさい。信仰に根ざした忠実が、勝利の日を勝ち取ってくれます。信仰に根ざした忠実とは、カトリック信仰への忠実と、完全にカトリックである私の聖なる潔白の道への忠実です。私の花嫁である教会は、すでに主の潔白の衣を着ており、私は、教会の全ての成員が新しい潔白の衣を着る日を待ち望んでいます。私は、あなた方が私の聖なる潔白の道を歩み、聖家族の修練を生きているところを見るのを待ち望んでいます。全ての者が私の家族である聖家族のメンバーとなり、生活の中で、神から与えられたそれぞれの役割、すなわち、世にある私の命を育てたり守ったりすることを、召されたそれぞれの場所で果たすならば、私の聖なる潔白は、あなた方の生活の中で勝利するでしょう。

  全カトリック教会は、聖家族すなわち地上の私の人間的な家族が、カトリック・クリスチャンの家族の基本であり、全ての人がメンバーとなるよう呼ばれていることに気づく必要があります。この家族の中にある、神の聖なる秩序を、普遍のナザレトで、教会のうちに生きる努力をするうちに(気づくでしょう)。

私は、主の潔白の家族すべての皆さまに、感謝申し上げます。ご支援とごミサとお祈りをありがとうございます。本部の私達にとっては、大きな慰めと励ましになっています。聖家族が皆様に、祝福と恵みを豊かに注いでくださいますように。そして、皆様が、キリストの聖なる潔白の道を引き続き歩んでくださいますように。皆様の地域で、あるいは更に広く、これを実現するためにしてくださることは、皆様の祖国とご自身に多くの恵みと祝福をもたらしてくれることでしょう。

聖マリア様が、母性的祝福を与えてくださいますように。聖ヨゼフ様が、お護りくださいますように。幼きイエズス様が、いつもそばにいてくださいますように。父と子と聖霊とのみ名によって。

マザー・パトリシャ

著作権:パトリシャ・デ・メネツィズ(試訳)、2017年10月6日(金)


p.4

主の潔白の日々の祈りの本

DIVINE INNOCENCE DAILY PRAYER BOOK

通常の「キリストの聖なる潔白の道」(メッセージ集)に代わり、夏の配本として今回は、違う物をお送りしています。

本部として祈りの本の規範版を作る必要があると分かり、主の潔白の霊性からくる祈りで恒常的に祈るものをまとめてみました。最後に公式に発行した主の潔白の祈りの本は、1995年発行の「主の潔白の日々の祈りの会」Divine Innocence Daily Prayer Groupという本です。それに代わる物が、「主の潔白の日々の祈りの本」Divine Innocence Daily Prayer Book です。

祈りの一部が改定されました。共同体として声に出して祈る際の、流れに考慮した部分もあります。同じ言葉が繰り返されているのを、カットしたところもあります。初期のメッセージにある通りの言い回しに戻した祈りもあります。それから、神学的な正確さのために、様々な改定を行いました。他の諸言語に翻訳されることを考えると、これは必要なことです。

小さな本ですが、一次資料がふんだんに盛り込まれています。私たちの日々の祈りの生活に関わるものであり、主の潔白の霊性の主要な要素がほとんど含まれています。聖家族へのコミットメント(献身)をした方にとっては、ここにある祈りを学ぶことは不可欠です。しかし、まだコミットメントをしていない方にも、聖家族の修練への入門書となるでしょう。

まず、皆さんには巻末の付録を読むことを強くお勧めします。そこには、イエズス様とマリア様から望まれている祈りの生活を実践するために、私たちを導き、照らしてくれるメッセージが書かれています。

メッセージを読めば分かることですが、この祈りの本には、主の潔白のメッセージにある全ての祈りは含まれていません。私たちはすでに、主の潔白の祈りの便覧Compendium of Divine Innocence Prayerの作成を始めています。こちらも将来、発行する予定です。


祈りの会

これまでの経験から、祈りの会が、主の潔白の道を広めるための大変良い道具となることが分かっています。メッセージを信じる人が、祈りの生活を実践し始めるケースもあります。その他にも、霊的な方たちが私たちを支援し励ましてくれる場合もあります(私たちには大変必要なことです)。

できるならば、主の潔白の祈りの会を始めることを考えてみてください。初代教会のように、皆さんの家や、その他のふさわしい場所で集まってください。主の潔白の家族の二人が、定期的に集まって、祈り、学び、そして、お茶などしながら交流しようと決めれば良いのです。しかし、新しい人を招き入れることにいつも気を配っていてください。親切に、思いやりをもって受け入れるよう、特に心がけると良いでしょう。

以下は、過去の経験から得たアドバイスです。すでに長い年月、祈りの会をしている方も、これから始めようという方も、参考にしてみてください。

 ●主の潔白の祈りの会であるということを、忘れないでください。目的は、キリストの聖なる潔白の道に対して、メッセージで与えられた祈りの生活の実践を、一人ひとりが確立させることです。

 ●全ての真正なカトリックの霊性(賜物としての霊性)には、兄弟的友情と協力があってしかるべきで、それぞれに特有なものを、愛の一致のうちに尊敬する必要があります。しかしながら、他の霊性や私的啓示を主の潔白の祈りの会に持ち込むと、不一致や混乱を生じさせることになります。

 ●常に、あるいは徐々に、新しい信心や祈りを加えていくと、主の潔白の祈りの会の特徴を失うことになりますので、注意してください。

 ●性格のきつい人や、押しの強い人に、祈りの会のリード役を任せてはなりません。

 ●共同体における祈りは短くするようにと、聖ベネディクトの戒律では言っています。どれくらい時間がかかるかに注意してください。祈りが次々と加えられてはいませんか。過度に疲れることのないように、高齢の方や小さい子ども達への配慮を忘れないでください。必要であれば、祈りを少しずつ順番に行ってみてみてください。

 ●できれば、聖務日課(教会の祈り、時課の典礼)も入れるようにしてみてください。朝の祈り(朝課)と晩の祈り(晩課)は主要な時課ですが、寝る前の祈り(終課)も初心者には良いでしょう。聖務日課は普遍教会の祈りですから、皆さんを養成し、守り、祈りと賛美をしている教会の力に結びつけてくれます。

 ●全ての祈りの会は、カトリック信仰の学びを含めなければなりません。一番簡単なペニー・カテキズム(訳注:要理をごく簡単に問答形式でまとめた英語の薄い本)を読むことでも構いません。この学びを発展させることが大切で、例えば、大きい『カトリック教会のカテキズム』の関連部分を読むのも良いでしょう。正当な教えを記した良書は数多くあります。例えば、ミサの学びのためのガイド(訳注:英語版)があります。例えば、聖霊の賜物と実、諸徳、身体的な慈善のわざなど、教えの一分野を選び、体系的に学ぶ方法もあります。

 ●ロザリオを、静かに、早過ぎも遅過ぎもしないスピードで祈りましょう。心を落ち着かせ、神秘の黙想を助ける唱え方でなければなりません。

 ●沈黙の時間をとりましょう。黙想のために聖なる時間が必要です。

 ●お茶や食事などをとりながら、親しく交流できる時間を設けましょう。特別な祭日や祝日にはお祝いできるように計画しましょう。会員が食事の準備をしても良いでしょう。

 ●祈りの会は、老いも若きも異なる年代の人がおり、既婚者・独身者様々な人がいる、家族的集いになるようにしましょう。

 ●祈りの会は、それぞれの人が聖家族のコミットメントや、聖家族の修練を実践できるように、手助けする集いとなるようにしましょう。

 ●メッセージを読み、学びましょう。

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